鹿児島最終日は知覧特攻記念館へ。
特攻隊として400名を超える若者がその短い生涯を終えました。
記念館の脇には特攻平和観音像があり、杖をついたご年配者が涙ながらに手を合わせていました。聞けば、初年兵時代に上官から番号をつけられ、偶数と奇数に分けられたとのこと。偶数になった自分は助かったが、奇数をつけられた仲間たちは配属先で全員戦死したそうです。
偶数で呼ばれたか、奇数で呼ばれたか。たったそれだけで命運が分けられた時代。しかし、助かった方もまた、70年もの間心に深い傷を抱え、人生を歩んできたに違いありません。
私たちはこうした先人たちの尊い犠牲の上に、今を生きていることを忘れてはいけません。私はせめて自分にできることとして、年々少なくなっていく戦争体験者の声を残していきたいと、心を新たにしました。
もし身近に戦争体験をお話しできる方がいらっしゃれば、どうぞ私宛にメッセージお願いします。