わたしたち日本人にとって、富士山への思いは深い。
東京タワーに上れば必ず探すし、新幹線に乗ればつい車窓から見える勇姿に目を奪われてしまうだろう。
そんな日本人を魅了してやまない富士山ではあるが、古くは縄文時代の遺跡からも富士山信仰と考えられる形跡がいくつも発見されているという。
江戸時代ともなると、富士山を信仰する人々が集まり富士講と呼ばれるグループを形成した。全盛期にはその数は「江戸八百八講、講中八万人」と言われるほどの盛況ぶりだったという。
しかし、富士山を信仰する誰もが実際の山へ登れたかというとそういうわけではない。そこで富士登山が困難な人のために富士塚というミニチュアの山を作って代わりにしたのである。
中でも豊島区高松町に今も現存する「豊島長崎の富士塚」は、関東大震災や空襲の難を逃れ、江戸期の姿を今に残す貴重な文化遺産だ。
高さ8メートル、直径21メートルの堂々たる富士塚は、江戸時代にわざわざ本物の富士山の溶岩を運び込んで作ったというこだわりよう。
この豊島長崎の富士塚を先祖代々守り続けている16代目先達の本橋健氏にお話を伺った。